福井鉄道南越線 社武生-戸ノ口間 廃線跡巡り

昭和56(1981)年3月までに廃止された福井鉄道南越線社武生-戸ノ口間の現在の様子をお伝えします。


福井鉄道南越線は、南越地方の産業振興を図って興された武岡軽便鉄道が、大正3(1914)年1月29日に新武生(後の社武生)〜五分市間を軌間762mmの蒸機運転で開業したのをルーツとする。
同年5月に粟田部、翌4年8月に岡本新まで開業、大正13(1924)年に戸ノ口までの全線を開業した。
この間、武岡鉄道さらに南越鉄道と社名を変えている。
昭和16(1941)年7月2日、戦時統合で福武電気鉄道に吸収され、昭和20(1945)年8月1日には鯖浦電気鉄道の併合を機に現社名の福井鉄道株式会社となった。
戦後の昭和23年3月1日より電気運転を開始したが、次第にモータリゼーションが進み昭和46(1971)年9月1日に戸ノ口-粟田部間を廃止、残った社武生-粟田部間も10年後の昭和56(1981)年3月31日で廃止された。

社武生駅跡
(JR武生駅自由通路線橋より)

画面中央で樹木が生い茂っているところに社武生駅があった
画面左はJR北陸本線、奥が福井方向
社武生駅跡

駐輪場とミニ公園になっている
福武口駅跡

ここも駐輪場になっている
福武線武生新駅につながる地下道は万代地下道として現在も利用されている
北府(きたご)駅跡

JR北陸線をオーバークロスする道路橋の下になった
この先R160で90度向きを変え日野川を渡る
日野川橋梁

橋脚橋桁とも当時のままで人車道に甦った
近くに武生高校があり毎日多くの高校生が渡る

北府側から村国方向を見る
日野川橋梁を渡り終えると線路跡は2車線道路に整備された

村国側から日野川橋梁方向を見る
日野川橋梁〜村国駅間の2車線道路
村国駅跡付近

平成9(1997)年に廃車された福武線モハ161-1が静態保存され、隣は私設資料館となっている

モハ161略歴
・昭和8年10月 福武電鉄が日本車輌で新造
・昭和23年3月 南越線電化に伴い入線
・昭和23年6月 福井地震ののち連接車に改造されて福武線へ戻る
・平成9年9月 廃車
塚町駅付近

路盤跡と小川に架かる橋台が残っている
奥が社武生方向
塚町駅跡

上の写真の地点から反対側を見る
住宅街の中の2車線道路になり痕跡は何もない
北村駅跡

北陸自動車道が横切り、画面中央の農業用倉庫は廃線当時から残る
奥が社武生方向
北村駅〜浅水川橋梁間

農道になっている
北村駅〜浅水川橋梁間

浅水側手前の小川に残っていた橋台に木橋が架けられている
浅水川橋梁

架線とレールが撤去とされただけでそのまま残る
南越線遺構のハイライト
浅水川橋梁〜五分市間

小川を渡るガーター橋が草むらの中に隠れている
上の写真の地点から五分市方向を見る

轍(わだち)がレールのようにも見える
奥に見える工場群は南越線の貨物輸送に大きく貢献していた
五分市駅手前

踏切がそのまま埋められたが路肩にはレールが顔を出している
五分市駅跡

3本の引込線を持つ大きな駅だった

最近看板が立てられた
五分市駅から粟田部駅方向を見る

2車線道路になっている
粟田部駅跡

駅舎の跡にコミュニティセンターが建てられた
岡本新駅跡

スイッチバック駅だったが跡地は和紙の里公園として整備された
岡本新〜粟田部・定友間

線路跡は道路に整備された
左手へ直進で粟田部方向、バスが曲がろうとしている先が定友・戸ノ口方向
定友駅付近

都市計画が進み駅跡地の特定は困難になっている
野岡駅付近

ここも特定は困難
赤坂駅跡

一歩村の中に入ると往時の地図が残っていて駅の場所も特定できる
戸ノ口駅跡

戸ノ口駅は首をやや左へ振る位置にあったのは国鉄鯖江駅への延伸を企図していたためであろうか
駅跡は運送会社になっている