国鉄三国線 金津-三国港間 廃線跡巡り

昭和47(1972)年2月29日に廃止された国鉄三国線金津-三国港間の現在の様子をお伝えします。


国鉄三国線は、北陸線が港町三国を離れて開通したことから、北陸線の支線として明治44(1911)年12月25日、金津-三国間8.7kmを1日4往復の旅客列車で開業した。
大正2(1913)年1月1日、三国港荷扱い所を開設し、翌年7月1日に駅に昇格、三国-三国港間1.1kmを延長開業した。
昭和9(1934)年3月から15年11月まで、キハ41000型ガソリンカーを1日24往復走らせ、福井や武生直通もあったという。
昭和19(1944)年10月、戦時下の不要不急路線廃止の一貫で全線運転中止となり、軌道は撤去され鉄材として供出された。

一方、昭和3(1928)年12月に福井口-芦原間20.0kmを開業した三国芦原電鉄は、1ヶ月後の昭和4年1月に芦原-三国間4.2kmを、昭和7年5月に三国-東尋坊口間1.6kmをそれぞれ延長開業した。
三国芦原電鉄は昭和17年に京福電鉄となった後、昭和19年の国鉄三国線休止に伴い、三国-三国港間を譲り受けて電化し、同時に三国-東尋坊口間を廃止した。
これにより現在のえちぜん鉄道につながる路線が確定した。

終戦の年12月には三国線再開の運動が起こり、昭和21(1946)年8月15日、金津-芦原間で運輸営業を再開した。
既に京福電鉄となり電化されていた芦原-三国港間に、昭和25(1950)年3月まで国鉄の蒸気列車が乗り入れていた。

戦後の経済成長期にいたり道路網の整備や京福との競合などで旅客貨物とも減少し、昭和47(1972)年2月29日限りで廃止された。
翌3月に北陸線金津は「芦原温泉」に改称して特急停車駅に昇格、京福の芦原は「芦原湯町」に改称したのち、えちぜん鉄道になり「あわら湯のまち」に再び改称され現在にいたっている。

昭和7(1932)〜19(1944)年の路線略図

金津駅 (現・芦原温泉駅) の三国線ホームは現役当時のまま今も残る。

線路は撤去されて駐車場に。
金津駅 (現・芦原温泉駅) 遠望

画面左が北陸線金沢方向。
521系4連は下り普通列車。
右手前へのカーブが三国線の築堤跡。
あわら市春宮1丁目付近
(芦原温泉駅を出てすぐ)

廃線跡は拡張され道路となっている。
千束トンネル跡

もちろん拡幅されている。
上は旧・北陸道。
芦原〜三国間

廃線跡は道路の拡張用地となり、並行していた三国芦原電鉄がえちぜん鉄道となって残る。
三国駅東側

昭和19年の休止の際、並行していた三国芦原電鉄が国鉄線を譲り受けて転線したため、クランク状の線形となった。
三国駅東側

上の写真を反対側から望む。
防草シートが敷かれている部分に三国線が並行していた。
三国駅東側

用水路を渡る橋台は2線分ある。
三国駅ホーム跡

昭和57(1977)年に京福三国駅がやや西寄り(画面奥)に移転した。
坂井市三国町滝谷

三国芦原電鉄がオーバークロスしていた橋台が残る。
三国港駅直前の架道橋
三国港駅

建物自体は開業当時のままだが、平成21(2009)年に改装された。
長いホームは“汽車”時代を偲ばせる。
三国港駅前

三国港荷扱い所時代の遺構。
近年まで2面3線の駅だったが、海側の1線とホームが駐車場に造成され、ホームの一部がモニュメントとして残された。