京福電鉄丸岡線 本丸岡-西長田間 廃線跡巡り

昭和43(1968)年7月10日に廃止された京福電鉄丸岡線本丸岡-西長田間の現在の様子をお伝えします。


京福丸岡線は丸岡町と省線北陸線とを結ぶ目的で、大正4(1915)年6月22日に本丸岡-上新庄(現・JR丸岡より約100m南)間4.2kmを762mm軌間の蒸機鉄道として開業した丸岡鉄道を創始とする。
丸岡鉄道は昭和5(1930)年6月15日、1,067mmへの改軌と電化を行い、同時に省線丸岡駅へ乗り入れた。昭和6(1931)年6月11日に省線丸岡-西長田間3.4kmを延長開業し三国芦原電鉄と連絡した。これより以前昭和4年8月には永平寺鉄道が永平寺口(後の東古市)-金津(現・JR芦原温泉)を開業し本丸岡で丸岡鉄道と接続している。
昭和19(1944)年12月1日には戦時統合で京福電鉄丸岡線となった。
昭和23(1948)年6月28日に起こった福井地震では大きな被害を受けた後もしばらくは客貨ともに順調であったが、昭和30年代半ばからのモータリジェーションで収支が悪化、昭和43年に全線が廃止された。

本丸岡駅

永平寺線との乗換駅で広大な敷地はバスターミナルとなった
画面中央を永平寺線金津方向が直進し、丸岡線はすぐ左にカーブした
一本田駅付近

本丸岡〜新福島間の線路敷きは道路に転用された
画面中央は中野重治の生家
丸岡駅

国鉄との貨車受け渡し線がそのまま残る
丸岡駅

国鉄との共用ホームが残る
自転車小屋になっている部分にもう1本のホームがあり、2面2線の櫛形ホームを構成していた
丸岡駅

何度もかさ上げされてきた様子が見て取れる
丸岡駅南側の用水に残る橋台
北陸線跨線橋の橋脚

サンダーバードの車窓からもよく見える丸岡線最大の遺構
跨線橋〜東長田〜兵庫川橋梁間は灌漑用水路となった
兵庫川橋梁

(雑草のない時季だと橋台跡が見えるはず・・・)
西長田駅

丸岡線ホームがそのまま残る
画面奥が丸岡方向、手前で三国芦原線と合流
通せんぼしている青緑色の建物はえちぜん鉄道になってから移設された変電所